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フロイト『精神分析学入門』

フロイトの理論の是非は置いておくとして、まず、フロイトはとにかく話がうまいおっさんなのであって、この本はそれだけでおもしろく読める。

さて、はじめにみなさんをノイローゼ患者なみに取り扱ったとしても、気を悪くしないでいただきたいのです。ほんとうのところ、私はみなさんに二度と私の話をききにこないように忠告したいくらいなのですから………。そこで、まず私は、精神分析の教育にはどのような不完全さが必然的につきまとうものか、また、自分自身で判断をなしうるようになるまでには、どのような困難があるかをお目にかけようと思います。さらに、みなさんがこれまで受けられた教育の全方針や習慣的な思考法が、どのようにしてみなさんを精神分析の反対者にしてしまうか、また、この本能的な敵対心を克服するためには、どれほど多くのものを征服しなければならないかを示したいと思います。私の報告することをおききになって、みなさんが精神分析についてどんな理解をされるようになるか、私にはわかりません。しかし、私の報告をきいても、そこから精神分析の研究や治療の方法を学びとることができない、とだけは、はっきり申し上げられます。もしひょっとして、みなさんのうちに、精神分析のおおよその知識を得ただけではあきたらないで、精神分析と縁をきらずにいたいなどというかたがあるとしたら、私はそれは中止したほうがよいと忠告するでしょうし、直接に警告もしたいのです。 今日の状況では、精神分析を職業として選んだとすれば、大学教授となって成功する可能性をみずからなくしてしまうだけです。また練達した医師として開業してみても、社会はその人の努力を理解せず、疑惑の目でながめ、機会さえあ ればと待ち伏せている悪意の連中は、いっせいにとびかかってくるでしょう。今日のヨーロッパにおいて怒り狂っている戦争(第一次世界大戦 一九一四〜一八)にともなうさまざまな現象(残虐行為や破廉恥な行為など) をごらん になれば、このような連中がどれほど多いものか、およその察しはつくはずです。

しかし、いつの時代でも、このような不快なことにめげず、一つの新しい認識となりうるものにひかれる人がいないわけではありません。 みなさんのなかにも、このようなかたが幾人かおられて、私のを諫言をも無視して、このつぎにもここへこられるというのであれば、それは大歓迎です。 ところで、さきほどちょっとお話しした精神分析を学ぶ途上の困難とはなにか、教えてほしいと要求する権利がみなさんにはあるのです。

講義のしょっぱなにこれだけ長々と精神分析のややこしさを述べたてた上で、「……でもまぁ、それでも興味があるなら、覗かせてあげてもいいよ」という素振りは、いかがわしい興行師のそれ。