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ピエール手塚『ゴクシンカ1・2』外山恒一『政治活動入門』

顔と心に傷を負ってひきこもり同然の暮らしを送っていた男・手塚冷士が、怖い顔の才能を見込まれてヤクザの世界に引き入れられ、ドツボにはまりつつモガくおもしろマンガ。なのだが、1巻の途中で

アタシのオススメは 「自分の都合を相手に押しつける」これだね!!

というセリフを見て、買ったまま積んでいた、外山恒一『政治活動入門』の

そうだ、世の中のせいにしよう。

という秀逸な帯コメントを思い出してしまい、寄り道のつもりでそっちを最後まで読み終えてしまってから『ゴクシンカ』も読み終えた。

手塚は他人と衝突して打ち負かされた時の苦い記憶から、相手の仮想人格を作り出し、仮想人格と会話することでその論理を糧とすることができる「傷痕(スカー)」の能力を会得するのだが、『政治活動入門』にはこんなことが書かれている。

たいていの人は、何らかの"生きがたさ"を抱えており、それを何とかしたいと日々試行錯誤をしているものです。しかし、繰り返しになりますが、その"生きがたさ"をもたらしている原因のうち、その人自身に問題がある部分については、個人的な努力で何とかなりますし、またそれ以外に何とかする方法はありませんが、そうでない部分、時代や社会の状況がおかしいために抱えてしまっている"生きがたさ"は、個人の努力では絶対に解決できないのです。

しかしすべての個人は、この同じ時代や社会の中に生きているわけですから、ある 個人が抱えている"生きがたさ"のうち、時代や社会の状況に原因がある部分については、他の個人と問題意識を共有し、協力して解決の努力をすることが可能です。

この努力が、要するに「政治活動」なのです。

そして政治活動のためには、オリジナルな意見よりも勉強が大切だという。

最初から「自分なりに考えてみる」よりも、まずは自分に近い立場でものを書いていそうな他の誰かの文章を読み、それに対して別の誰かが書いた批判の文章を読み、またさらにそれに対する反論の文章を読み……という勉強をする方が、ずっと良いのです。その過程で、自分の中に、互いに矛盾する、しかもどちらもそれなりに筋が通っていると思える複数の立場が同居するような状態になるでしょう。実は、そうなった時に初めて、本当に「自分なりに考えてみる」ことが可能になるのです。

はたして手塚冷士も、複数の傷痕(過去の他人の言葉や態度)と向き合うことで、自分なりの道筋を導き出していくのであった。

"生きがたさ"の個人面を見ているのが『ゴクシンカ』で、社会面を見ているのが『政治活動入門』である。と、とりあえず言えてしまうが、自己の傷と可謬性を前提として考える物語が『ゴクシンカ』で、自己の傷と可謬性を一旦棚上げにするのが『政治活動入門』であるという振り分け方もできる。そうしてみると1つ、前者は後者が見ていない重要な問題も指摘していることがわかる。それは「相手を見たほんの一瞬の印象や誤解が膨れ上がり、相手がモンスターであるかのように思い込んでしまう」ことが往々にしてあり得るという問題だ。人は全てを見ることはできないし、全てを読むこともできない。「傷」が生まれた原因すら、モンスター化が関わっているかも知れない。となればこの問題は"生きがたさ"に直結し得る。この幻想のモンスターにどう対処すべきか。(余談だが、崇拝だって一種のモンスター化と言える)

『政治活動入門』においては、あくまで勉強は「政治活動」のための肥やしなので、この問題は問題として表れることがない。その代わり(?)、一切の普遍的理念の「定立」を拒否する(=議論が耐えることがない)「ファシズム」を目指すという話になっていくのだが、『ゴクシンカ』は、この問題が変奏されながら、物語全体に響き合い、クライマックスへと向かっていく。

会ったり言ったり書いたり、見たり聞いたり読んだりし続けることって大事だよね、とあらためて思ったので、こうして感想文を書いて公開することにした。