「男性学」の巻に、わたしはゲイ・スタディズの項目を立てた。そこで伏見憲明の 原稿の収録を依頼したところ、ご本人からお断りの返事を頂戴した。その理由は、「自分としては男性学もしくはゲイ・スタディズというアンソロジーは、いずれ当事者の声として編まれるべき性格のものだと信じている。その機が熟したときに自分のテクストがその中に入ることを望むけれども、今回のようなアンソロジーには参加したくない」というまことにもっともなもので、わたしは深く納得して引き下がった[上野伏見 1997]。
フェミニズムとジェンダー・スタディズは学問の当事者性を引き受けている。 他人の闘いを闘うことはだれにもできない。 わたしたちが学ぶことができるのは、自分とは立場が違うけれども他人が闘っている自分自身の闘い、他人の闘い方から学ぶことである。 男には男という深刻な問題がある。自分自身の男という問題を解く前に、他人の問題を解こうなどとは越権行為であろう。 フェミニズムは闘う学問なのである。